白檀の香りを嗅いだとき、最初に変わるのは気分ではなく、呼吸の深さだと思う。
意識よりも先に、身体のほうが静かになる。
考えごとは止まらないが、速度だけが落ちていく。
この香りは、何かを足すためのものではない。
高揚も、切り替えも、前進も起こらない。
ただ、沈む。
それも急がず、抗えない速さで。
白檀は香りというより、時間の底に溜まる木の感触に近い。
ただし、それは我々が知っている、煙としての白檀の話だ。
煙としての白檀は、空間に広がり、やがて消える。
一方で、香油としての白檀は、逃げ場を持たない。
Sandalwood No.1
伝統的な水蒸気蒸留法によって、長い時間をかけて抽出されたこの香油は、
かつて金にも等しいと讃えられたという言葉を、誇張に感じさせない密度を持っている。
軽さはなく、拡散もしない。
それは香りというより、沈殿に近い。
この白檀は、空間ではなく、皮膚に沈む。
私は頸に一滴だけ落とす。
それ以上は必要ない。
体温でゆっくりと緩み、皮脂と溶け合いながら、甘さは外へ広がらず、皮膚の最上層にだけ留まる。
煙の白檀が「場」をつくるものだとすれば、香油の白檀は「個」を閉じる。
誰かに届くことを目的とせず、自分の輪郭の内側で、静かに完結する。
香油の白檀は、特別な日のためのものではない。
むしろ、同じ動作を繰り返すためにある。
私は毎朝、同じ場所に同じ量だけ落とす。
量を測ることはない。
一滴という感覚だけが、手に残っている。
頸に触れた瞬間、香りは立ち上がらず、沈む。
そのまま皮膚の温度に馴染み、日中に姿を変えることもない。
この行為に高まりはない。
集中を高めるわけでも、気分を切り替えるわけでもない。
ただ、身体に「始まり」を記すだけだ。
香油の白檀は、時間を刻むための香りだと思っている。
朝に沈み、夜まで留まり続ける。
その間、香りは主張せず、消えもせず、皮膚の一層下で、同じ重さを保ち続ける。
それを私は、儀式と呼んでいる。

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